言の箱庭

文章が好きな20代の独り言です。

母は娘である私が言うのもなんだけど、中々な美人である。フィリピンとかそっち系の彫りの深い顔に少し色の濃い肌。骨が太めなところも、体型も、日本人とは少し外れている。ただ、本人曰く外国の血は入ってないとの事なので本人の知らないところからの隔世遺伝か何かか……。

母にまつわる話は多い。何せ母だ。生まれてこの方1番長い時間を共に過ごしたといっても過言ではない。母は話すことが好きなので昔の話も沢山聞かされた。私が知らないはずの時代のことまでいやに詳しくなっているから困りものだ。

 

そんな母は今年で確か45歳。はっきり覚えていない。申し訳ない。母はかなりの虚弱体質なので最後に働いていたのは10年以上前の話になってしまう。まだ私が小学生だった頃の話だからそれも当然なのだけれど。その時もパートタイムで休憩無し5時間、平日のみ働く形だったが半年足らずで身体を壊して辞めたのを覚えている。それ以前で言えば私の年齢がまだ片手で数えられた頃に働いていたのと、私の誕生以前に働いていたことくらいか。なので母は人生の約半分を専業主婦として過ごしていることになる。純粋に尊敬する。

 

母は完璧主義かつそれを実現するだけの能力を持っている。家事、育児、仕事、趣味。本人なりのこだわりがあり、ルールが存在する。

例えば週に1度は水周りの大掃除をするだとか。

例えば子供が小さい時には極力刺激物添加物を与えず、小学校に入るまではなるべく手作りのおやつを与えるだとか。

そういったルールがいくつもいくつも。私から見ればとてつもなく窮屈そうな生き方に見える。

私が小さい頃などはそのルールを守ろうという気概が特に顕著で、アトピーや喘息になることを恐れて毎日部屋の拭き掃除を欠かさなかったそうだから恐れ入る。自分が実際小児喘息やアトピーに罹患していてしんどかったから、との事らしいが残念。

現状の私はアトピー持ちだ。

 

めんどくさがりで自分が完璧にこなせないことは嫌い、完璧に出来ない自分も嫌い、な母。頭が良く、いつも生活の質を向上させることに邁進している。料理が得意で裁縫も上手、けれど母は満足しない。

 

母の優先順位は第一に父、その次に妹と私。稼いできてくれるのが父だから父が過ごしやすい環境を、というのが母の口癖。中々に前時代的な考え方な気もするが、とにかく父を立て、父の好きにさせることを基本として育ってきた私達は両親においてはそれが平常運転になっている。幸いなことに父が調子に乗って偉そうにしたりということがないため反発しなかったこともあると思う。

それなりに私達も母の方針を理解して協力して過ごしていたのでたまに友達に家の話をすると驚かれたりしていた。

例えばお風呂のタイミング。父が現場仕事をしているので汚れて帰ってくるせいもある。けれど、帰ってきてまず手洗い等を済ませたら必ずビールを飲む父の帰宅時間を気にし、それまでに風呂を済ませるか、そうでなければ父が入った後に入るかの二択しかない。いつからそうなってたのかは分からないが、入るタイミングで怒られた記憶など遅いと怒られる以外では皆無なのに気付けばそれが身に染み付いている。帰宅時間の予測が外れて父が早く帰ってきた時などは妹か私の風呂に入っていない方が風呂場まで行き、「パパ帰ってきたから早めに出てね」と伝えることもしばしば。どうしても課題やバイト、その他の都合で早く入りたいけど父が帰宅後まだ入っていない時などは必ず父にお伺いを立ててその後入るなんてこともしていた。

他にも、食事の皿を個人個人で分けている時は父のものから用意するし、父がテレビゲームをしていたらどれだけテレビが観たくても我慢するし、それこそテレビのチャンネルなども決定権は父にある。

けれど別に両親に不満を抱いたりはしなかった。

「父がしんどい思いをして私達にいい生活を送らさせてくれている」

母がいつも言うこの言葉は幼い私にも理解ができたし、納得出来たから。どう頑張っても家族の誰よりも家にいる時間が短いのだから家にいる間だけでも自由に気楽に過ごして欲しい、と言う母の気持ちは分かったので不平不満を唱えることも無かった。

いっそきちんと行動の理由を説明してくれる母が好きだった。

 

 

 

そんな母だが先日、心疾患が見つかった。

家を離れていた私は知らなかったが、しばしば胸の痛みを訴えては休み休み家事をしていたらしい。元々人より心臓のポンプとしての働きが少し弱いと言われていた母だし、元々体調不良が多いのに加えて最近では更年期障害のようなものが出たり下肢静脈瘤の術後が悪かったりで、その胸痛すらも些細なことだろうと放置しようとしていたんだとか。父と妹の説得により病院へ。

おりた診断は“冠攣縮性狭心症

正確な診断を出すためには入院が必要とのことだが、本人はそこまでしなくとも…と言い現状は投薬で対症療法を行っているだけに留まる。

頻繁に不整脈が出たり、房室ブロックの値が悪くなったりしているらしく、下手をすれば心室細動を起こすかもしれないとまで言われているのだとか。心室細動を起こせば数分で死に至る可能性があることは既知だったが、まさかこの先ずっと母にそれが起きる可能性が付きまとうなどとは想像もしていなかった。

この間などは息苦しさが頻繁にあるとの事でサチュレーションを24h測定していたらしい。日に日に悪くなっているのを聞いているだけでなかなかにくるものがある。

今現在、発作が起きた時用のニトロペンが手放せなくなり、母の首にはそれを入れたチタン製のネックレスのようなものがかかっている。毎日毎食後の薬もあり、絶対飲み忘れてはいけないらしい。

 

そんな中でも家事を完璧にこなそうとする母は尊敬するが、頼むからもう少し休んで欲しい。

 

貴女はまだまだ長生きしなければならない。

妹の活躍を見なくてどうする?

孫の成長を見なくてどうする?

父と旅行したいとも言っていた。

貴女が居なくなったらきっと、妹と父は機能しなくなる。そんなの、まだまだ何十年も先の話でいいだろう。

貴女は生きなくてはならない。

そのためのサポートならいくらでもする。

生きて、生きて、生きて、もう満足したと言えるまで生きて、それから幸せに死ねばいい。

貴女が居なくなるにはまだ早すぎる。

障害

 

広汎性自閉症スペクトラム

 

これが中学1年生の頃私についた診断名。どういう意味かと言えば発達障害が色々入ってますよーってことらしいので明確にこれ、と言われた訳では無いということを念頭に置いて書こうと思う。

 

当時の私は問題行動が多かった。そして当時自覚は無かったがおかしな行動も。

私は相手の気持ちがわからなかった。

私は言葉の裏が読めなかった。

私はすぐパニックを起こした。

私は臨機応変が苦手だった。

私は集中力散漫だった。

私は衝動的に動いた。

そんな私は、典型的な発達障害児だった。

決して頭が悪い方ではなかった、と自分では思っている。少なくとも学年上位に食い込む程度には学力面は良好、客観的に見ることが出来たなら年相応以上の思考は出来ていたし今も出来る。ただ、自分のこととなるとてんでダメだった。

 

こんなエピソードがある。

私には2歳下の妹が居るが、まぁそれはそれは親が呆れるくらい頻繁に喧嘩をしていた。小学生に上がってからどんどん口が悪くなった私は妹を力でも口でもやり込めて威張っていた。そこしか勝てるところが無かったからなのだろうと今になれば思うが妹にとってそんなこと関係ない。酷い姉だった。

ある時喧嘩の最中、私は妹が大切にしていたものを壊した。何がきっかけの喧嘩だったかなんて思い出せないし覚えているわけもない。ただ、いつものように頭に血が上った状態で私はどうすれば妹に最大限ダメージを与えられるのか考えて実行に移した。妹は勿論泣いた。そして私は両親に怒られた。当たり前だ。

ただ、私は怒られたこと自体不服だった。喧嘩両成敗という言葉があるではないか、なぜ私だけが怒られるのだと。自分がしたことは棚に上げてそんなことを宣った。その時親に言われた。

「妹の気持ちになって考えなさい」

わからなかった。

すると、「じゃあ自分の大事なものを壊されたらどう思うの」と聞かれた。嫌だ、と答えた。「妹もそうだったんじゃないの」と言われたが、

わからなかった。

何故自分と同じ感情になると思えるのかが当時の私には理解出来なかった。私は私で他人は他人、それに当て嵌めたら妹は妹なのだから妹が何考えてるかなんて分かるわけがないだろう、と。物語の登場人物を見ているかのように想像することは容易かった。けれどそれが現実の妹に当て嵌るわけがない、と何故か確信していた。

 

こんなエピソードもある。

普段男友達が多い私にしては珍しく、女子のグループに所属していた時期があった。小学校高学年の頃である。

ある日1人の女の子が学校にストラップを持ってきた。その子曰く、みんなでランドセルにつけてお揃いにしよう!と。みんなそのストラップを見て、可愛い、嬉しい、とはしゃいでいたが私はお揃いにする意味も、そのストラップの可愛さも何もわからなかった。ありがとう、と言ってその時は受け取ったが部屋の引き出しに即座に仕舞ってそのまま存在を忘れた。

数日後、ストラップをくれた子が「何でつけてないの?〇〇ちゃんだけだよ、つけてないの」と言ってきた。私はランドセルにつけたくなかったからつけてない、と素直に言った。

「最低」

その言葉から、私に対する無視が始まった。

 

ずっとずっとそんな人付き合いを続けてきた。今となっては参照できる経験が増えたので失敗することも減ったが、未だに咄嗟の判断や雑談となると苦手で、気付いたら周りが白けてるように見える。

酷いパニックはほとんど起こさなくなったが、軽微なパニックは日常的にあったし、そうなると一気に疲労がくる。

私の目は見たものを鮮明に記憶してしまう、俗に言う“カメラアイ”というもので、全て覚えてしまう訳では無いのでまだマシかもしれないが記憶容量をそれだけ圧迫してしまう。少しでも意識したり集中したりして見れば写真のように思い出せるようになるのだから当然だ。

そして私の耳は音の取捨選択が苦手である。人の話し声、機械音、アナウンスや車の音、それらを全て同じように受け取ってしまい、日々頭の中が溢れかえりそうになりながら日常生活を送っている。

 

少し前までは学校や部活、バイトなどが終わって家に戻ると死んだように眠るばかりで、玄関先で倒れ込んでいるのはいつもの事だった。情報の処理に頭を使いすぎて家での生活を送る余力が無くなるのだ。目から、耳から、人間1人が必要とする以上の情報を得てしまうから。そしてそれにいちいちパニックを起こしては疲労を蓄積させる。それでも家に戻るまで気力で持ち堪えられるのはひとえに障害が重度でないからだろうと思う。

 

今現在、経験を積むことによって何とか人並みの生活を送れるまでには成長することが出来た。それでも決して障害が治った、とは言えない。発達障害は治らないものだから。生まれつきの脳の欠陥によるものだから。ただ、ここまで成長できたのは私自身の努力の成果であり、それを支えてくれた周囲の人の功労であろう。それは誇りたいし感謝し続ける。

恋愛

ふわふわ甘い砂糖菓子のような。

 

それが今までの私にとっての恋愛で、愛情の示し方。全力で相手を甘やかして、私も甘やかしてもらって、依存しきって離れられなくする。周りから見れば怖い、と言われることも無くはないが当の私は幸せである。

頼まれれば基本的には何でもするし、基本が世話焼きな私は我が子に接するくらいのレベルで相手のことをしてしまう。別名・ダメ人間製造機。友人に言われた別名なので私的には100%納得している訳では無いが多少はその片鱗があるかも知れない。

 

少し話は変わる。

私は身近な友人の2/3が異性であるくらいには同性が苦手で女子特有の面倒くささみたいなのがとてつもなく嫌いであるが、こと恋愛となると話が変わってくる。乙女と言うかなんというか。その為に変な男に引っかかりやすかったのだろうが後悔はしていないので置いておこう。

恋愛に関してのみ言えば、積極性の欠片も無く完全に受け身。けれど、相手に好かれるための努力はなるべくする。相手にとって「気になる存在」になるための努力。元々異性の友人が多いため距離が近く、気になる存在になりさえすれば基本的には成功だ。放っておいても告白される。

これは残念ながら嫌味でも何でもなくて。自分がどう見られてるのか、相手にとってどのような存在なのか、手に取るようにわかるし、そもそも私の身体は異性にとって魅力的に映るらしいので苦労しない。今までの生活がこんな私、こんな思考を形作ったのだろうとは思うが、それがいいのか悪いのかは定かでない。

 

そんな私は今、好きな人がいる…らしい。

自分でも分からなくなってきている。どうしたいのか、どうなりたいのか、自分自身のことが分からない。そして相手の事もよく分からない。何を考えているのか知りたいと思う反面、わかってしまったらつまらないと思う私もいてとても面倒くさい。

相手を独占したい、私だけを見ていて欲しいという気持ちは間違いなくあるが、じゃあ付き合いたいかと問われるとそこは分からないし、いざ付き合ったところで何か変わるのかと問えば変わるところがない気もしてくるので余計分からない。

月1ペースでお酒やつまみなどを買い込んで私の家に飲みに来て、泊まって翌日帰る。その他に1~2ヶ月に1度くらい車で遠出する。それがこの半年くらいずっと続いている。本当にどういう関係なんだこれは。

 

相手は中学生の頃からの友人。この関係を崩したくないと思う私は臆病だろうか。少しでも下手に触れてしまえばこうやって会えなくなるのではないか。こうやって遊んでくれなくなるのではないか。そう思うと前に踏み出す勇気は何処かへと消えてしまう。

元より恋愛に関して受け身なのだからこんな状態で積極的になんてなりようがない。ただ、このまま停滞も中々苦しいものがあるのでどうしようかと迷っている。

 

これから私はどうなるのだろうか。

どうするのだろうか。

 

今は甘い砂糖菓子と言うよりは苦い薬のようだ。

あの子の姉であるということ

それは常に比較されるということ

あの子の姉であるということ

それは常に期待されるということ

あの子の姉であるということ

それは常に2番手であるということ

 

あの子の姉であるということ

それ自体は嬉しいはずなのに

たまに少し、嫌になる。

 

 

 

私の唯一の妹。彼女は才能に溢れている。

学習面、芸術面、共に良い結果を残す。それで驕っているのかといえば別にそうでは無いし、向上心もある。

見た目も良い。少し幼い顔をした彼女はその場に即した態度で動くことが出来るので非常に他人から好かれやすい。

彼女は昔から私の自慢の妹で、大切な人。

 

しかし周りの人が絡んでくるとどうもそればかり言ってはいられなくなる。

祖父母には成績を比べられ、両親は妹を褒める言葉ばかりを口にする。勿論成績は彼女の方が優秀だし、私より出来ることが多いのだから当然なのかも知れないが、どうしても幼い私は納得がいかなかった。

学校の先生にはよく妹の名前で呼ばれた。別に顔が似ているわけでもなく、名前が一音違いという点では呼び間違い易いのかもしれないが、それならば期間的に長く学校に居る私の名で彼女を呼ぶのではないかと思ってしまった。しかし彼女自身は間違えられたことがないらしい。何故だ。また、私の担任に私が呼び間違えられたこともあるので尚更腑に落ちない。きっとそれだけ印象に残る子なんだろうと勝手に結論付けた。

 

給与の高さに惹かれた私は現在、彼女の元バイト先で派遣社員として働いている。しかしどうだろう。5年も6年も前に在籍していたただのアルバイト、一学生であった彼女の事を共に働いていた学生や主婦さんはともかく、他店の正社員や本部のマネージャー達までよく覚えていた。何故だ。結局それだけ優秀な子だったらしい。当時の彼女より上の立場になって尚、「さすが妹ちゃんのお姉さんだね」と言われることに少し引っ掛かりを覚えてしまう私は子供なのだろうか。一緒に働いたことは無いので定かではないが、確かに仕事のスピードは目を見張るものがあったらしい。その域まで達しているのかと問われればまだまだなのだろうと思う。悔しい。

 

私はまだまだ感情的になったり思考が幼い事がよくある。そのため彼女に諌められる事もままある。その時にはカッとする事もあるが、冷静になってみれば実際彼女の言う事が正論であって間違っているのは私だったりするので仕方がない。

そんな彼女だが、両親のことが大好きで、2人のこととなるととても子供っぽくなったりもするがそれはそれで彼女の魅力だと思う。

 

こういう事ばかりを呟くからだろう。彼女に対して劣等感を抱いていると思わることがよくある。無いとは言わない。けれど別にそれで一方的に嫌ったりするほどではなく、どちらかと言えば尊敬の念の方が勝つ。

何はともあれ、夢を叶えて一歩踏み出した私にとって唯一の妹、そんな彼女が私は大好きだ。

話したいこと

私の書きたい事はなんだろうかと考える。言いたいこと書きたいことはたくさんある。けれどどれから書こうか。何を選ぼうか。迷う。

 

私の頭の中は起伏のない空洞、その中にワタシが座っているイメージ。ワタシの周りには紙が散らばっていて。ワタシはその紙を拾い上げては時には破り、時には丸め、時には書き足し、捨てて、言葉にしていく。短文でパラパラ呟いていくのも好きだけど、たまには長々と書いてみるのもいいかと思う。テーマに迷うけれども。

 

誰に見せるでもないけど、これからゆっくり書いていきたい。